13.人生は楽しい
2019年09月04日
内容紹介
kiriminさんをゲストに迎え、不登校時代、ニート時代などについて話しました。
出演者
show note
- 自己紹介
- フリーランスのAndroidエンジニア
- きりみんちゃんのマネージメントとプロデュースとかやってます
- 生い立ち
- 埼玉生まれ
- 幼稚園の時に茨城に移住
- 幼稚園の時はひたすら絵描いたり自由だった気がする
- 運動好きで社交的でいろんなことをよく考える子供だった
- 小2の終わりくらいから学校行かなくなった
- 最初は家族もなんとしても学校行かせようとしててかなり争ったけど最終的に諦めてもらえた
- 自治体経営のフリースクールみたいなところに通ってた
- 特に勉強をさせられたりするわけではなく自由に遊んで過ごす幼稚園みたいな場所だった
- 義務教育時代
- 小学生で不登校は珍しかったので中学生に可愛がられたりしてた
- 中学生になっても不登校
- 中学の3年間はフリースクールで同世代の友達もいてかなり楽しく過ごしてた
- 勉強はまったくせずひたすらゲームばかりやり続けていた
- ゲーム作ったりしたかったけど具体的に何勉強すればいいのか当時は情報も道具もなかったので何もできなかった
- RPGツクールはめっちゃやり込んでた
- 中学卒業後はなんとなく通信制高校に進学した
- 10代後半ニート時代
- 定時制と迷ったけど治安が悪くて馴染めなそうな気がした
- 通信制高校は問題集のプリントを解いて数時間登校すれば単位がもらえるガバガバ環境だった
- その代わり登校日とかは決まってなくて友達を作る方法がなかった
- 結局それも続かなくて中退した
- 中学卒業してからはネットが繋がって2ch廃人だった
- コテ雑みたいなスレで慣れ合ったりしてた
- この頃はやたら東京にあこがれていて、時々一人で秋葉原に行ったりしていた
- 2chにいい加減飽きてきてた頃にTwitterを知って始めた
- この頃はまだTwitterユーザーが一つのコミュニティみたいな規模だった
- Twitterで今までとは違うタイプの友達がたくさんできた
- ニートは普通だと思ってたけど、同世代の友達が色々な活動したりプログラミング出来たり有名大学目指したりしてて衝撃を受けた
- それまで自分の時間が進んでる感覚があんまりなかったけど、急に人生に焦り始めて劣等感などでメンタルが病みがちになる
- バイトを始めようと思うもコンビニもドラッグストアもスーパーも面接で落ちる。そのくらい当時は駄目オーラ全開だった
- メンタルが完全に限界になって何のプランもなく自転車で国道を北上する暴挙に出て深夜にパトカーに見つかって補導され早朝に連れ返される
- この時が人生で一番底を見た時だったと思ってる
- その後、近所の食品工場の派遣バイトに受かり働き始める。そこで意外と自分が要領よく仕事ができる方だったことと、漠然と恐ろしいものだと思っていた労働が数ヶ月続けられたことで少し自信を取り戻す
- ちょうどその頃、高校で取ってた単位と高卒認定の科目合格で高卒の資格を手に入れられたので、進学を考え始めた
- 漠然と大学に行きたかったけど現実的に小3で学力が止まってる状態から大学受験の勉強ができるほど当時は努力できる性格じゃなかったので、専門学校に行こうと思った
- Twitterで知り合った人にエンジニアの人が多かったのと、元々コンピューター好きでプログラマーなら興味を持てそうな気がしたので情報系の専門に行くことにした
- 専門学校時代
- 地元の専門だとまた同じような空気が蔓延していてあんまり現状から抜け出せないような気がして、東京の学校を探した
- 都心の主要専門学校で一番地味で堅実そうな学校と学科を選んだ
- この時は本当に最後のチャンスだと思っていて、情報収集から入学手続きとかも基本的に自分でやった
- 実家から片道2時間くらいかけて都心の学校に通い始める
- 入学した学科は期待どおり堅実で訳ありの人や大学中退の人などが多く真面目な人が多かった
- 授業内容も楽しかったけど、地元の同世代とは明らかに違って文化的な会話が出来る人が多くて新鮮で楽しかった
- 友達もそれなりにできて2年間学生生活を満喫した
- 学科はシステムエンジニア育成コースで、情報処理技術者試験の範囲をなぞる形でプログラミングの他にUMLの書き方やテーブル設計などSEっぽい知識を中心に学んだ
- 1年の夏に基本情報に合格した
- 正直専門時代はオブジェクト指向もあんまり理解出来てなかったしネットワークやデータベースなども具体的にイメージ出来てなかった
- 成績も中の上くらいで特別良い方ではなかった
- 1年の冬頃から就活しはじめた
- どんな会社に入りたいのかもよく分からなかったし何がやりたいのかも分からなくてあんまり積極的には動けなかった
- とにかくお硬い会社は向いてない気がしたのでWeb系かスマホ系のスタートアップを中心に応募してたけどスキルマッチしなかった
- かなり苦戦して最終的に2年の冬に零細SIerのスマホアプリ受託の新規部署に内定して就活終わった
- 新卒時代
- 手取り15万くらいだった
- 同期4人全員専門卒で自分以外あまり技術に興味なくほぼプログラミング出来ないみたいな感じだった
- 会社も昔ながらの零細企業という感じで今考えると色々すごかった
- 先輩もプログラミングあまり出来ないのでひたすらネットでググりながら一人で受託のAndroidアプリ開発してた
- バリバリやってたら取引先の会社に常駐することになってそれが辛くて1年ちょっとで退職した
- 2社目時代
- Greenで見つけたゲーム開発の受託やってる零細企業に転職した
- 入社時に前職を「この年収でよく生活してたね」と言われたけど、その会社では手取り20万くらいで残業代なしだった
- ブラック過ぎて2ヶ月くらいでおかしくなって失踪してしまった
- 行方不明になって2週間くらい音信不通になって東日本をさまよっていた
- その後実家に戻って1ヶ月くらい療養した
- もうしばらく正社員として働くのは嫌だと思ってバイトを探した結果、どうせならフリーランスの方が儲かりそうだと気づいて勢いでフリーランスになった
- R時代
- フリーランスエージェントに登録して最初に面談に行った会社がR社だった
- 経歴とスキル的には厳しかったけど運良く面談担当者にポテンシャルを見込まれて入れてもらった
- R時代は当時としてはかなり大きめなアプリのチームに配属されてチーム開発についてやビジネススキルなどについてたくさん学んだ
- 業務委託の人が多い現場でフリーランスの友達もたくさん出来て楽しかった
- 大変なことも多かったけど、この時が一番仕事のチームメンバーと仲良くやってて楽しかったかもしれない
- 2年くらい開発チームで働いたあとに技術基盤チームで半年くらい技術調査したり社内向けの技術記事書いたりしてた
- 最終的に2年半くらい在籍して離任した
- ふわふわ時代
- Rで知り合った人が独立したというので常駐の仕事仲介してもらったり受託の仕事の下請けやったりしてた
- この頃しごとがあんまり楽しくない代わりに英語の勉強をめっちゃしてた。中学基礎英語も全くやってない状態からTOEIC650点になった
- AnyPay時代
- エージェントに戻り次に紹介してもらった会社がpaymoをやっていたAnyPayだった
- 当時はpaymoリリース直後で社員エンジニアがCTO含め二人だけでCTOが手を動かすような環境でかなり新鮮だった
- 最初は決済ドメインに全く興味なかったけどやってるうちにハマっていった
- 正社員にならないかと誘われて正社員になった
- paymoにはかなり可能性を感じていて本気でプロダクトの成功のことを考えていた
- 計1年半くらい在籍したのち、いろいろあって音楽性で退職した
- その後Kyashに転職したけどAnyPayやめる少し前からメンタルを崩しがちでKyash入った直後にメンタルが完全に駄目になってしまって退職
- 鬱時代
- 本格的に鬱っぽい状態になってしまい寝たきりになってしまう
- 本気でもう働けないんじゃないかと思った
- 2ヶ月くらい療養してなんとか生活出来るくらいになった頃、M社の業務委託に誘われる
- 働けるか不安だったけど週3で入ることにする
- 働いてみると意外となんとなかった。徐々に体調も改善していって稼働を週4に増やして本格的にM社で働き始める